みやざき杉との出会い、1997年「木をいかした家づくり」空港展

株式会社スズキ建築設計事務所が、良く聞かれる質問は、「なぜ?みやざき杉を使って建築をしているの?」、「宮崎県から、みやざき杉を産地直送をして、家造りをしているが、宮崎出身?」などと、たずねられます。

宮崎とは、縁もゆかりもなく、宮城蔵王の麓の山村で、林業をやっている家で育ったものですから、当初は、宮城県大崎地区、鳴子温泉のもっと奥の鬼首(おにこうべ)地域からの国産材の産地直送方式による家づくりに取り組んでおりました。

1988年頃は、木材だけでなく、その地域の大工さんも一緒に首都圏に来て住宅の大工工事を行っておりました。

今もそうですが、この当時も間伐材をいかに、住宅の中に使うか良く産地の人たちと話をしておりました。

根太に太鼓挽きで使用したり、内壁にログ風に使用したりと、産地側の製材業者、大工さん達とよく話し合ったものでした。

工事中に、間伐材のタイコの根太を見た、近所のお年寄りは、昔は良くタイコの根太を使ったもので、相撲取りが乗っても大丈夫な床になるぞ,と言われたもです。

そのような運動をしているときに、国産材運動をしている大阪の国産材住宅推進協会・民家の北山代表から、「今度、宮崎で、実物大の住宅で空港展をやるので、コンペに参加してみないか?」と、声を掛けられ、図面を提出したところ、私どもが選ばれたと言うことで宮崎県と出会いが生じたのです。
それが、1997年3月です。

宮崎県の山村・木材振興課の人たちも、一生懸命で、宮崎の林業、木材をどうにかしなければと言う熱い思いが伝わってきました。
(ここは内緒ですが、東北のある県、関東のある県、中央のなになになど、親方日の丸の熱意かも??の状態と当時感じていたのと比較)

よく、口先では、国産材を何とかしなければ言う、お役人は掃いて捨てるほどいるが、当時担当しました彼は違っておりました。
彼がいなかったら、宮崎スギの産直には取り組んでいなかったと思います。

彼の日本一の生産量を誇る杉をPRするには、関東圏で、宮崎スギを使ってほしいとそして、宮崎スギの産直方式の家づくりの説得で、今では、すっかり、宮崎出身ですかと言われるほど、「産直・みやざきの家づくり」をしています。

それから、かれこれ16年です。

台風銀座と言われる地域で育った宮崎スギは、粘りがある木材です。

事務所も、代表が長男に引き継がれ、親子2代で、みやざき杉による、産地直送方式による家づくりや、教会、店舗、事務所などを、産地がしっかりした、ねばりある良質な木材で建築をしています。